類別トリック集成

江戸川乱歩

(入力者注)

 この評論集では「英米短編探偵小説吟味」と「探偵小説に描かれた犯罪動機」の二つが最も長文の記事である。これは数年前「宝石」に連載したものだが、その連載をはじめる少し前、私はカーの短編「魔棺殺人事件」の中の「密室講義」を初めて英文で読んで、甚だ興味深く感じ、若し探偵小説の全トリックについて、こういうものが書けたら面白いだろうという野望のようなものを持った。
 そこで、その資料を蓄積する意味で、英米の探偵小説を読むにしたがって、トリックのメモを取ることをはじめた。幸い、戦後英米の長編を相当読み、簡単なメモがとってあったので、それを母体としてそれまで余り読まなかった短編のメモを集めることにした。私は当時、英米の著名な短編傑作集十数冊を所蔵していたので、これを通読して、作品のカードを作り、傑作集収録頻度表を拵え、次に「新青年」その他の探偵雑誌のバック・ナンバーを殆ど漏れなく調べて、邦訳カードを作り、邦訳の頻度表をも作製して、英米傑作集の頻度表と対照したりした。そんな風にして、短編のトリック・カード四五百を採集したのである。「英米短編吟味」と「犯罪動機」の二稿は、その副産物のようなものであった。この二編を読み返して見ると、到る所に、トリック分類表作製の準備として書いているのだということが記してある。だから、今度の評論集に、この二篇だけを載せて、肝心のトリック論がのらないのでは、どうも首尾一貫しない。序論だけで本論がないことになる。それでは読者も物足りないだろうし、私自身も不満である。そこで、兎も角も、私のトリック分類表と、その解説を、大急ぎで書くことにしたのである。
「宝石」に右の二つの稿を連載したあとで、私はトリック分類表を一応は作って見たが、どうも意に満たなかった。もともと、著名な英米の長編と短編を次々と読んだメモを、帰納的に類によって分かち、それをなるべく順序よく列べて見たにすぎず、演繹的に考え出した分類ではないので、分類表として妙にチグハグなのである。二度三度分類をやり直してみたが、どうも得心ができない。
 そこで私は、一つ探偵クラブの探偵小説通の連中に相談してみようと考えた。それまで私は日本の作品のメモは全く作っていなかったので、日本のものをよく読んでいる人人に作例の追加もしてもらいたく、岩谷書店の三階へ数回足を運ぶことにしたのである。
 岩谷書店の三階応接間には、毎週土曜日に、探偵作家クラブ員の中の特別に探偵小説好きな人々数名が集まることになっている。そのメンバーは時によって変ったが、最も熱心な常連ともいうべき人々は、渡辺剣次、武田武彦、黒部龍二、中島河太郎、桂英二の諸君で、私が出かけたときには、このほかに、やはり常連に近い人々で、二宮栄三、宇野利泰、千代有三、岡田鯱彦、楠田匡介、鷲尾三郎などの諸君の顔が見えた。私は確か四週間だったと思うが、土曜毎にそこへ出かけて行って、私の作った分類表と七百何十種のトリックの作例を読み上げ、諸君の助言を乞うたのである。
 七百数十種のトリック例というと非常な数に思われるが、そこに集まった連中は皆内外の探偵小説通なので、作者と題名を告げただけで、トリックの内容が分ってしまう場合が多く、ただ人々の未読の作についてだけ、簡単に説明すればよかったのだから、各回四、五時間ずつ四回、約二十時間で事が運んだのである。
 その人々の中で最もよく助言してくれたのは、二宮栄三、桂英二、渡辺剣次、中島河太郎、楠田匡介の諸君で、私の表に記入されていなかった作例を聞くに従ってメモして行き、殊にトリックのある日本の作品を多数追加することが出来た。
 しかし、このやり方は、むろん万全の方法ではなかった。私がトリック表を説明して行くと、右の人々が「それにはまだこういう作例がある」と、咄嗟に思出したものだけを教えてくれたので、その時誰も思出さなかったものは抜けているわけである。西洋の作例は私が読んだものと、二宮君などが幾つか追加してくれたものに限られ、日本の作例は四回の会合で人々の頭に浮かんだものだけに限られている。以下に記す各トリックの作例を見て、殊に日本のものでは、こんな大切な作品が抜けているではないかと、指摘を受ける箇所が多いと思うが、この点については、私はむしろ、そういう指摘を待つという気持である。著名作でここに漏れているものを気づかれた読者は、私までご一報の労を惜しまれないことを期待する。
「通」の諸君に相談して、一応やるだけのことはやったわけだが、それで、すぐ分類表の完成にとりかかったかというと、私は以来今日まで、何もしていないのである。その理由を考えて見ると、七八百の作例ではまだ充分と云えないこと、思ったほど見事な形の分類が出来なかったこと、これをカーの「密室講義」のような調子で書くのには、非常な枚数を要し、不完全なメモだけでは足らず、その都度作品を読み返して見なければならないことも予想され、こんなことにそれほどの時間と労力を費やすねうちがあるのかという疑いを抱いたこと、又、それには一々原作名をあげて説明しなければ面白くないのだが、それをやると、手品の種あかしと同じ作用をして、その作をまだ読んでいない読者には、いざ読むときの感興を半減する結果になりはしないか、といって、作品名を伏せて書くのには、長い文章を要し、ひどく骨が折れる上に、トリック論そのものの価値が半減される。とやせんかくやと惑っている内に、月日がたったのである。
 尚、つけ加えるならば、探偵小説以前の文学、歴史などにある同じ型の話にまで遡り、夫々のトリックの祖先調べをして、各項目にトリック源流考のようなものをつけ加えることが出来たら面白いだろうと考え、「顔のない死体」「密室」「被害者即犯人」などについては、いくらか遡り得たのだが、凡てのトリックについて、これを調べることは到底早急には出来ないので、その調べが揃うまではという気持も、いくらか手伝っていたのである。
 ところが、前にも記した通り「英米短編吟味」などを中心として本を作るとなると、どうしてもトリック論を除外することができない。せめて、私の作ったトリック表の項目だけでも記し、それに最小限の説明を加えて、私の気休めにし、読者の諒恕を乞うほかはないと考えるようになった。若し私に、ここ一二年のうちに、カーの「密室講義」ほどの詳しさで一冊のトリック論(この章のあとに並べた「兇器としての氷」から「変身願望」までの四篇は、ここに略記したトリックの一部を抜き出して、やや詳しく書いたもので、あの調子で全部を書けば、充分厚い一冊の本になる)を書く気があれば、今度の本にはその断り書きをさけるだけで気がすむのだが、私はトリック論のために、この上大きな時間をさく気がないのである。だから、この際、この骨格だけでも活字にしておかないと、折角作ったトリック表が、日の目を見ないで終ることになる。それも心残りだから、甚だ不完全な未成品を承知の上で、私のトリック論の梗概のようなものを、大急ぎで書きつけておくわけである。
 さて、トリックの分類だが、最初私は出来るだけ分類らしい形を整えたいという気持が先に立って「人間に関するトリック」「空間に関するトリック」「時間に関するトリック」という三大別を考え、資料をそれに当てはめて見たが、そうすると、純粋に時間に関するトリックは実例がひどく少くて、チンパの感じになってしまう。そのほか、いろいろ統一原理を考えて見たが、どうも満足するような形にならない。一つはそのために、嫌気がさして投出していたのでもある。しかし、上述の事情で、ここに発表するとなると、何とか曲りなりにも纏めておかなければならない。そこで、形のよい分類というようなことはひとまず棚上げにして、採集した資料本位に、全く帰納的に、類によって集め、それを漫然と列べておくことにする。
 本文では説明が入っていて、分類の形がよく分らないと思うので、ここに前もって全項目を一目で見られるように、謂わば目次の形で記しておく。各項目の下の数字は、本文に挙げた作例の数である。作例総数821でこれらの数を割れば、その項目の含む作例のパーセンテージが分るわけである。

【第一】犯人(又は被害者)の人間に関するトリック(225)
(A) 一人二役(130)
①犯人が被害者に化ける(47) ②共犯者が被害者に化ける(4) ③犯人が被害者の一人を装う(6) ④犯人と被害者とが全く同一人(9) ⑤犯人が嫌疑をかけたい第三者に化ける(20) ⑥犯人が架空の人物に化ける(18) ⑦替え玉――二人一役、双生児トリック(19) ⑧一人三役、三人一役、二人四役(7)
(B) 一人二役のほかの意外な犯人(75)
①探偵が犯人(13) ②裁判官、警官、典獄が犯人(16) ③事件の発見者が犯人(3) ④事件の記述者が犯人(7) ⑤幼年又は老人が犯人(12) ⑥不具者、病人が犯人(7) ⑦死体が犯人(1) ⑧人形が犯人(1) ⑨意外な多数人の犯人(2) ⑩動物が犯人(13)
(C) 犯人の自己抹殺(一人二役以外の)(14)
①焼死を装う(4) ②その他の偽死(3) ③変貌(3) ④消失(4)
(D) 異様な被害者(6)

【第二】犯人が現場に出入りした痕跡についてのトリック(106)
(A) 密室トリック(83)
①犯行時犯人が室内にいなかったもの(39)
(イ)室内の機械仕掛け(12) (ロ)窓又は隙間を通しての室外からの殺人(13) (ハ)密室内にて被害者自ら死に至らしめる(3) (ニ)密室に於ける他殺を装う自殺(3) (ホ)密室に於ける自殺を装う他殺(2) (ヘ)密室に於ける人間以外の犯人(6)
②犯行時犯人が室内にいたもの(37)
(イ)ドアのメカニズム(17) (ロ)実際より後に犯行があったと見せかける(15) (ハ)実際より前に犯行があったと見せかける――密室に於ける早業殺人(2) (ニ)ドアの背後に隠れる簡単な方法(1) (ホ)列車密室(2)
③犯行時被害者が室内にいなかったもの(4)
④密室脱出トリック(3)
(B) 足跡トリック(18)
(C) 指紋トリック(5)

【第三】犯行の時間に関するトリック(39)
(A) 乗物による時間トリック(9)
(B) 時計による時間トリック(8)
(C) 音による時間トリック(19)
(D) 天候、季節その他の天然現象利用のトリック(3)

【第四】兇器と毒物に関するトリック(96)
(A) 兇器トリック(58)
①異様な刃物(10) ②異様な弾丸(12) ③電気殺人(6) ④殴打殺人(10) ⑤圧殺(3) ⑥絞殺(3) ⑦墜落死(5) ⑧溺死(2) ⑨動物利用の殺人(5) ⑩其他の奇抜な兇器(2)
(B) 毒薬トリック(38)
①嚥下毒(15) ②注射器(16) ③吸入毒(7)

【第五】人および物の隠し方トリック(141)
(A) 死体の隠し方(83)
①一時的に隠す(19) ②永久に隠す(30) ③死体移動による欺瞞(20) ④顔のない死体(14)
(B) 生きた人間の隠れ方(12)
(C) 物の隠し方(35)
①宝石(11) ②金貨、金塊、紙幣(5) ③書類(10) ④其他(9)
(D) 死体及び物の替玉

【第六】その他の各種トリック(93)
①鏡トリック(10) ②錯視(9) ③距離の錯覚(1) ④追うものと追われるものの錯覚(1) ⑤早業殺人(6) ⑥群衆の中の殺人(3) ⑦「赤髪」トリック(6) ⑧「二つの部屋」トリック(5) ⑨プロバビリティーの犯罪(6) ⑩職業利用の犯罪(1) ⑪正当防衛トリック(1) ⑫一事不再理のトリック(5) ⑬犯人自身がその犯行を遠方から目撃するトリック(2) ⑭童謡殺人(6) ⑮筋書殺人(6) ⑯死者からの手紙(3) ⑰迷路(4) ⑱催眠術(5) ⑲夢遊病(4) ⑳記憶喪失症(6) ㉑奇抜な盗品(2) ㉒交換殺人(1)

【第七】暗号記法の種類(小説の例37)
(A) 割符法 (B) 表形法(4) (C) 寓意法(11)
(D) 置換法(3)
①普通置換法(1) ②混合置換法 ③挿入法(2) ④窓板法
(E) 代用法(10)
①単純代用法(7) ②複雑代用法(3)
(イ)平方式暗号法(1) (ロ)計算尺暗号法(1) (ハ)円盤暗号法(1) (ニ)自動計算機械による暗号
(F) 媒介法(9)

【第八】異様な動機(39)
(A) 感情の犯罪(20)
①恋愛(1) ②復讐(3) ③優越感(3) ④劣等感(4) ⑤逃避(5) ⑥利他の犯罪(4)
(B) 利欲の犯罪(7)
①遺産相続(1) ②脱税(1) ③保身防衛(3) ④秘密保持(2)
(C) 異常心理の犯罪(5)
①殺人狂(2) ②芸術としての殺人(2) ③父コンプレックス(1)
(D) 信念の犯罪(7)
①宗教上の信念(1) ②思想上の信念(2) ③政治上の信念(1) ④迷信(3)

【第九】トリッキィな犯罪発覚の手掛かり(45)
(A) 物質的手掛かりの機智(17)
(B) 心理的手掛かりの機智(28)

 右の通り、結果として九つの大項目になったが、〔第七〕以下はそれより前の諸項とは性質を異にするので、分類癖から云えば、これらは別の項目を設けて区別すべきだが、そういう煩わしいことをしないで、単に併列の方式を採った。また〔第一〕から〔第六〕までも分類の体をなさず、殊に〔第六〕の項などは、それまでどの項にも含め難いものを、雑然と集めた形で、甚だ不整頓だが、私にはほかに名案もなかった。
 以下の本文は、時間と枚数を節約したために、察し読みをしてもらわねばならないような個所が非常に多くなっている。探偵小説を読みなれぬ読者には理解しにくい個所もあると思うが、誰にも分るよう面白く書くためにはこの数倍の紙数を要するのだから、ご諒恕を乞うほかはない。説明文は繁簡まちまちになっているが、邦訳のない作品やそのトリックについては、やや詳しく記し、誰でも知っているような事は、出来るだけ省筆したからである。
 作例は他の項目と重複してあげた個所が幾つかある。それらを整理すると、作例総計は一二割減ると思うが、記述の都合上、そこまで厳密にしないでおいた。日本の作品は周知のものが多いので作者題名共に記したが、西洋の作例は、多くは作者名を記すのみにとどめた。それらの原作名は私の原簿には記入して保存してある。

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