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白川郷巡礼

 『ひぐらしのなく頃に』に出てくる雛見沢村のモデルで、背景映像の一部も撮影された白川郷に行ってきた。
 前々から行ってみたいと思ってはいたのだが、なにぶん東京からだいぶ離れているので躊躇していた。しかし実際行ってみると想像したほどには遠くなかった。自動車で直行すれば片道5時間くらい。近くはないけど1泊すれば余裕、頑張れば日帰りもできなくはない距離である。松本と高山を結ぶ国道158号が長野オリンピックがらみでよく整備されたのが大きい。また2002年には白川郷に東海北陸道の白川郷ICが開通し、高山からのアクセスも便利になっている。本編で何度か圭一の両親が車で長時間かけて東京に行っていたが、その頃と比べたらかなり所要時間が短縮されているはずである。
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 いまや白川郷は泣く子も黙る世界遺産指定地。正真正銘の観光地である(世界遺産が本当は観光地を指定する制度ではないのはわかっているが、事実上そうなっているわけである)。バッチリ整備された有料駐車場に次々押し寄せる観光バスから吐き出される観光客らが辺りを歩き回り、白川郷の中は平日にも関わらず人通りが多かった。雛見沢の寒村のイメージとはほど遠い。外国人観光客も多く(中国系が多いが欧米系もちらほら見かけた)、白川症候群なんてものがあったらあっという間に世界中に感染が広まるに違いない。
 現地でひぐらしファンと思しき人間を見かけることはなかったが、オヤシロさまこと古手神社のモデルとなった白川八幡神社はこの通り。
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 初リリースから10年経つのに大した盛り上がりであるが、先ごろ原作者同伴で巡礼ツアーがあったとの話も聞くので、その関係もあったのかも知れない。
 ただ絵が描いてあるのが全部ひぐらし関係といっていいのかどうかはよくわからないところがある。まあ素人が描いた絵だから必ずしもうまく描けているとは限らないからということもあるが、ひぐらしシリーズは原作の竜騎士07の絵が個性的すぎることもあって、アニメ版やマンガ版、コンシューマゲーム版やSteam版などバージョンごとにキャラクターの絵がバラバラであり、原作をプレイしただけではどのキャラクターなのか判別しがたい顔もあるのである。
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 現地でほかに意外だったのはこの圭一の家のモデル。実際には家ではなく白川村の下水処理施設である。屋根が切妻風になっているものの実態はRC造りの公共建築で、いくら新築で大きめの家が白川に乏しいとはいえ、これを圭一の家にするというのは、現地を見たあとだとかなりの力技に感じる。本当にここに住んでいたら確かに御殿と呼ばれても仕方ない。

 今回本格的にスマホのF-02Gで撮影してみたが、ポケットに入れておくといつの間にかレンズが汚れ、ソフトフォーカスがかかったようになってしまうのには閉口した。上2枚も若干その傾向があるが、これでもましな方である。

『Her Story』

 SteamにてPC版を購入。日本語化パッチを利用してプレイ。

  • 90年代に起こったある殺人事件についての警察での取り調べ映像が格納された検索システムを模した作品。このシステムでは、一つ一つが十数秒から1分程度にバラバラにカットされた取り調べ映像を、その発言中の単語で検索できるようになっており、検索した単語ごとに映像を上位5件まで閲覧できる。これを使って、なるべく多くの映像を閲覧して事件の真相を把握するのが目標らしい。
  • ストーリー性の面で昨年のPCゲームの中で比較的高い評価を得ていた作品ということで購入したのだが、わかりにくいわ面倒だわつまらないわで完全に失敗。システムが不親切すぎるし、何が起こったのか最後までプレイしてもさっぱりわからない。仮に理解できたとしても(ネットで検索すれば真相は出てくる)、出来事そのものがすでに完全に終わってしまったことなので、話に全くサスペンスがない。久々に金返せと云いたくなる作品だった。話をバラバラにしただけで面白い作品になるなら苦労はない。ストーリーやゲーム性というものをあまりに軽く見た作品である。

ひぐらし再訪(3) 劇中世界における幻想的設定の実在性

 『ひぐらし』第一話のお疲れさま会で、祟りによるものとしか思えない事件が過去にいくつも起こっていたにも関わらず、ほとんどの読者(テストプレイヤー)が劇中世界における祟りの実在を信じていなかったと報告されていたが、これはもっと祟りの実在を支持する読者が多いことを予想していた作者の竜騎士07氏にとっては深刻な問題であったはずである。一体どうしてこう解釈されたのだろうか。なお、もちろんこの問題は地の文で祟りの実在が直接描写されていないことが前提の話である。
 祟りは現実世界に実在しないからというのではもちろん答えとして十分ではない、だって劇中世界はフィクションなのだから祟りが実在したっていいはずではないか。氏はその後この点についての結論として、『うみねこ』の中で「登場人物の中に一人でも疑っている人間がいる限り、その物語世界内に幻想的な事実が実在するとは解釈されない」という説を(登場人物たちの口を通して)披露した。この説は『うみねこ』シリーズのプロットの中心的構成原理として使われている。だがこの説は本当だろうか。怪談ものなどで、幽霊の存在を信じない「愚かな人間」が不審な死を遂げるといった話はいかにもありそうではないか。疑っている人間がいるだけでは幻想的設定が否定されることにはならないのではないか。
 これはやはり、祟りが実在したという結論になったとしたときに読者がそれに納得できるか、そういう状態にあるかどうかが大事なのではないか。第一話の場合、すべてを祟りで説明しようとしても説明しきれないところが残ってしまう。例えば鬼隠しについての詳しい説明はこの時点では出てきていないから、失踪が説明できない。富竹が殺されたとき人間に囲まれていたという件もそうだ。また、二人が圭一を襲ったときの手段が注射器であったというのも祟りよりも科学的な手段を暗示する。
 「登場人物の中に一人でも疑っている人間がいる限り、その物語世界内に幻想的な事実が実在するとは解釈されない」というのは、幻想的実在を肯定しようとすると無理が生じる状況では、その結果として登場人物の方にも納得できない人間が出てくるということに過ぎないのではないか。

ひぐらし再訪(2) 真相の設定まとめ【ネタバレ】

 シリーズ最大の謎であるオヤシロさまの呪いの真相を簡単にまとめると次のようになる。完全なるネタバレなので、未プレイの方は決して読まないことをお勧めする。

(雛見沢症候群)
 雛見沢には古来より雛見沢症候群と呼ばれる感染性の土着病があり、雛見沢の住人はほぼ全員がこれに感染している。しかしこの病気の病原体の検出には技術的に難しい面があり、当の住民自身を含め、この病気の存在は一般に知られていなかった。この病気は、感染してもはじめ症状がないが、患者が強いストレスにさらされると劇症化し、猜疑心が強まったり幻覚を見たり攻撃性が強まったりといった精神病の症状を生じて、周囲の人間に危害を与えたり自殺したりといった事態に至ることもある。
 鷹野と入江は、その軍事利用をもくろむ秘密組織に属し、当地において表向き診療所を開設してそこで秘密裏に雛見沢症候群を研究している臨床医学者である。また、富竹はそれを支援する自衛隊の連絡将校である。

(一年目の事件)
 昭和50年ごろ、雛見沢にダムの建設計画が持ち上がり、雛見沢全体がダムの底に沈むことが見込まれたため、地元住民の間で激しい反対運動が起こった。数年に及ぶ戦いの末、結局建設計画は撤回されたが、その反対運動の末期の昭和54年に、雛見沢に設置されていたダム建設準備事務所の所員が、雛見沢症候群に感染したうえ、激しい反対運動にさらされたストレスで劇症化し、所長を殴り殺すという事件が発生する。この所員は、事件直後に鷹野とその部下らによって秘密裏に診療所に連れ去られて研究材料とされたため、部外者からは失踪したように見えた。この事件の真相は、雛見沢症候群の存在自体が世に知られていない以上、もちろん警察にも地元住民にもわからなかったが、たまたま事件が地元の守り神とされている「オヤシロさま」の綿流しの祭りの晩に起こったため、迷信深い地元民の一部は、古来より雛見沢に伝わる伝承の教える「オヤシロさまの祟り」と「鬼隠し」によるものではないかと噂した。

(二年目~三年目の事件)
 雛見沢症候群の研究を進めるための研究材料として、より多くの劇症感染者を必要としていた鷹野は、一部の住民の噂を利用し、綿流しの晩にオヤシロさまの祟りがあるとさらに言いふらして住民にストレスを与え劇症化させることを画策。この年とその翌年、そのもくろみ通り、ダムの反対運動に絡んでやましい思いのあった関係者を綿流しの晩に劇症化させることに成功する。劇症化した患者は一年目同様に殺人を犯したあと診療所へと拉致された。
 なお、二年目の発症者と被害者は、ダム建設推進派であった佐都子と悟史の両親で、両親がいなくなった結果、二人は叔母夫婦に預けられることになった。また、三年目の発症者と被害者は梨花の両親であった。

(四年目の事件)
 佐都子と悟史は引き取られた叔母夫婦とうまくいかず、二人の症状は次第に悪化する。劇症化した悟史は、叔母を殺したうえ、綿流しの晩の噂を利用してそれを隠蔽しようとするが、かねてより悟史を診察していた入江と鷹野らに結局連れ去られて失踪する。悟史は劇症化したとは言うものの、事件の隠蔽を考える程度には正気を保っており、いくらか症状が軽かったようである。

(五年目の事件)
 以上の設定を前提として本編で語られる五年目の事件が起こっている。五年目の事件には、過去4年続いた雛見沢症候群患者による事件と、それとは別の、発狂した鷹野による滅菌作戦の二つの筋がある。
 前者の内容はループによって内容が違うが、とにかくこの年も例年通り雛見沢症候群の劇症発症者が出て身近な人間を殺してしまうという内容である。トリッキーなことに、この年だけはこの種の事件が綿流しの晩から基本的に数日遅れて起こっている。この年、可能性としては雛見沢を一時離れた引け目を感じていたレナが綿流しの晩に発症することもあり得たが、魅音ら仲間たちの尽力でストレスが軽減され発症を免れたということだと思われる。圭一や詩音、また罪滅し編のレナの発症は、発症までの経緯が違うので、綿流しの日ピッタリにはならなかったわけである。一方、皆殺し編における圭一による殺人は、祟りとの混同による隠蔽を図ったので、4年目と同様に綿流しの晩になった。なおこの年は、すでに研究が概ね完成したことと、滅菌作戦の実行との兼ね合いからか、劇症化した患者が鷹野らに連れ去られない場合もあるようである。
 その代わりに綿流しの晩に起こったのが、鷹野と富竹の仲間割れから生じた富竹殺害事件である。この年、雛見沢症候群の研究が打ち切られることになり、鷹野は半ば発狂した。そのために鷹野は政府に「滅菌作戦」を実行させようと考えるようになった。滅菌作戦とは、雛見沢症候群の「女王感染者」である梨花が死亡することがあると、雛見沢の住人たちがそれをきっかけに一斉に劇症化して暴れまわり、日本社会を大混乱に追い込む可能性が高いという説に基づいて、それを防ぐために雛見沢の住人を全員毒ガスで殺害するという作戦である。この年の綿流しの日の数週間後、鷹野は梨花を殺害することにより、自衛隊にこの実行を強いるつもりで計画を進めており、いくつかのループではそれが成功して実際に実行された。ただし、この鷹野の女王感染者説は結果的には誤りで、それが露見したループでは実行されないこともあった。
 ともあれ、滅菌作戦の実行に反対していた富竹はこの晩、鷹野に雛見沢症候群の病原体を注射され、精神に異常をきたして自殺に追い込まれた。綿流しの晩に実行されたのは祟りの噂を利用した隠蔽のためである。鬼隠しの伝承と帳尻を合わせるため、この事件のあと鷹野は身を隠した。

 本来綿流しの晩に起こるべき事件を五年目にかぎって数日遅らせ、その代わりに綿流しの晩に無関係な事件を突っ込むというミスリードは、やりすぎといえばやりすぎだが、周到な構成である。このミスリードのせいで、読者はまるで倒叙もののように4年間続いた事件の5年目そのものを目撃しているにも関わらず、そのことに気づかない。何か別の事件が起こっているように見える。さらに言うなら、第一話である鬼隠し編の展開はあまりに自然すぎて、圭一が劇症化していなくても発生し得る内容であったことも紛らわしかった。
 それはともかく、本編の後半は、この5年目の事件と滅菌作戦をいかに防ぐかをめぐって展開する。

ひぐらし再訪【ネタバレ】

 ここのところ『ひぐらしのなく頃に』を復習している。

 振り返ってみると、シリーズ前半の出題編3話で起こった事件は、大半が本筋である鷹野の陰謀とほとんど無関係であった。鬼隠し編で圭一が魅音とレナを殺してしまうこと、綿流し編で魅音が佐都子や梨花や詩音を殺してしまうこと、祟殺し編で圭一が鉄平を殺してしまうことは、いずれも鷹野らが計画したことではなく、また鷹野らの陰謀がなければ起こらなかったとも必ずしも言い難いものであり(過去4年間綿流しの日にストレスから雛見沢症候群の重症者が発生して殺人を犯したり自殺すること自体は鷹野らにかかわらず自然に起こっていた、また祭具殿への侵入は鷹野の個人的興味により陰謀がなくても行われ得る、との解釈を前提とした場合。ただ5年目の殺人と失踪だけは鷹野の陰謀と若干の因果関係を認めざるを得ない)、鷹野からみて偶然に近い。これらは精々、雛見沢症候群という共通の原因を持っているという程度の関係にしかない。
 共通の原因をもっている以上不自然な偶然とは扱わないというのがドラマの世界のお約束である。ミステリーはこのルールに大きく依存している。だからこれらの後に鷹野の陰謀が出てくることは一応不自然ではないものと扱うことになる。連続失踪の方は鷹野の陰謀の結果でもあったし。しかし描写されるものという観点から見た場合、シリーズ前半で描写されるのは主に雛見沢症候群の危険性であって、鷹野の陰謀の危険性ではないということになる。これは本筋から外れているのではないか。読者をミスリードするという方向に偏り過ぎているようにも思われる。推理小説はこういうものなのだろうか。
 実は、鷹野の陰謀という要素は比較的後になってから追加されたのではないかとする説がある。もしシリーズから鷹野の陰謀という要素を除去し、入江あたりが雛見沢症候群が真の問題だと突き止めてめでたしめでたしで終わるような話にシリーズを書き換えたとすると、上で述べたような問題は大幅に軽減される。ひょっとすると、元々の構想はそのようなものだったのかも知れない。

 またダム建設計画が雛見沢に持ち上がったことは読者や圭一をミスリードする上で重要な役割を果たしたが、これは雛見沢症候群とは共通する原因すらない純然たる偶然である。ドラマにおいて純然たる偶然を完全に排除することはできないが、偶然が増えれば増えるほど実現確率が下がり、描写の強さが弱まる。鬼隠し話で言えば、雛見沢症候群が危険だといっても、圭一の殺人はダム建設計画という偶然がなければ起こらなかったということになるから、雛見沢症候群が危険だという描写を弱める方向に働く。もっとも、偶然だったということは最後まで読まないとわからないから、読んでいる途中にはあまりそう感じさせない構成ではあるが。

 ドラマの主題とは結局その中で起こる出来事の共通原因のことなのだろうか。そうであるような気がしたこともあるし、そうでないような気がしたこともある。
 とにかくこの主題というのは作劇における呪いのような概念である。

『ひぐらしのなく頃に』のページ数

 『ひぐらしのなく頃に』は、プレイしているときからずいぶん長い話だなあと思っていたが、小説などと違ってページ数という概念がない(正確に言えば一応ないこともないけど)ので、実際どの程度の分量なのかよくわからなかった。かかった時間で言えば相当なものだが、チマチマクリックしたりエフェクトを待ったりしながら読んでいくので、ふつうの小説に比べると文章を読む速度が遅くなっていたと思われるから、時間で計るのも正確ではない。
 ところがこのたび同作のテキスト部分をテキストファイルとして抜き出すことに成功したので、文字数や行数を正確に数えることが可能になった。その結果は次の通りである。いずれも本文部分だけでTIPSやお疲れさま会部分は含んでいない。空行やNScripterのスクリプト部分も除外してある。1ページの文字数はあるライトノベルの文庫本の値、42文字×16行で計算した。文字数はUnicodeの文字数である。

  1. 鬼隠し編 227857字 9047行 566ページ
  2. 綿流し編 314013字 11764行 736ページ
  3. 祟殺し編 324306字 12222行 764ページ
  4. 暇潰し編 133483字 4931行 309ページ
  5. 目明し編 316695字 11885行 743ページ
  6. 罪滅し編 343937字 12631行 790ページ
  7. 皆殺し編 406577字 14513行 908ページ
  8. 祭囃し編 (不明)
  9. 賽殺し編 91942字 3360行 211ページ

 祭囃し編は、カケラ集めがある関係でうまく抽出できなかった。
 大体文庫本1冊は300~400ページ前後が多いため、各編は概ね文庫本上下二巻程度の分量、ただし真相が明かされる皆殺し編は上中下3巻相当、暇潰し編と賽殺し編は1冊相当程度という結果になった。祭囃し編も2冊程度と仮定すると、なんと全17巻の大長編ということになる。実はこの作品にはノベライゼーションも出ていて、それがまさに17巻構成である。
 同人ゲームとしてはこれだけの字数の文章を書いたというだけでも大したものである。完成させるためにはさらにプログラミングも必要なのだから、片手間で作れる作業量ではない。

『逆転裁判3』

 iOS版『逆転裁判123HD 成歩堂龍一編』にて引き続きプレイ。

  • 新人弁護士成歩堂龍一とその助手綾里真宵を描いた成歩堂龍一編の完結編。逆転裁判シリーズは4以降もリリースされているものの、主人公が変わったりライターが変わったりしているので、さらに言うなら、本作は本来の意味での『逆転裁判』シリーズの完結編でもあると言っていいかもしれない。本作、特にその最終話「華麗なる逆転」の話の中身も、あまりこういうオタクくさい言い方は好みでないのだが、あえて言うなら、これまでのシリーズの伏線を一気に回収して大団円を迎えるという内容であった。
  • シリーズを通しての感想だが、細かく見れば問題は多々あるけれども、とにかく個性的なキャラクターの力が強くて、喜劇としてはよくできていると言っていいと思う。シナリオライターである巧舟氏のその点の実力は疑いようもない。
  • この作品を『ひぐらしのなく頃に』と比較してみて気づいたことがある。両作品は一見似ているところがあるが、この作品がミステリーなのに対し、『ひぐらし』は悲劇である。悲劇にもミステリー要素、つまり間違った認識からくる矛盾が気にかかるという要素は含まれるのだが、単なるミステリーと悲劇の違いは、ミステリーは間違った認識が比較的早めに正されるのに対し、悲劇はそれが正されないままどんどん事態が深刻になり、しまいには大ごとになるというところである。大抵の場合ドラマとしては悲劇の方が面白い。そしてミステリーには大ごとになっていく過程がないので、長編を作ろうとすると話を持たすために筋書がどんどん複雑になっていく傾向にある。『逆転裁判』シリーズの特に2以降の長編エピソードは、そのようにして話がやや複雑になりすぎたきらいがあり、筆者自身いま話を振り返ってみて正確にプロットを説明できる自信がない。これは本シリーズの大きな欠点の一つだったと言えるだろう。本シリーズはもともとゲームボーイ・アドバンス向けにリリースされたものだが、その主要ユーザー層と思われるティーンズたちが話の内容を正確に理解できたか大いに疑わしい。

『逆転裁判2』

 iOS版『逆転裁判123HD 成歩堂龍一編』にて引き続きプレイ。

  • 前作の追加シナリオを除いた部分と同様に、本作もチュートリアル1話、ライトな雰囲気の2話、シリアス風の大詰め1話の計4話構成。
  •  初めの3話については相変わらずなライトコメディ風ミステリーなのだが、第4話の『さらば、逆転』については若干の問題を感じないでもなかった。
     これまでのシリーズで、主人公の成歩堂龍一は、受任時点では罪を犯しているとしか思えない被告人の無罪を主張し続けてきた。それは前作の第1~2話によると、弁護士は常に孤独な被告人の味方であるべきであって、被告人が無罪を主張するならばそれを信じるべきだ、という信念に基づくものであったはずである。ところがその後、早くも前作第4話の『逆転、そしてサヨナラ』あたりからこの原則が揺らぎ始め、『蘇る逆転』では被告人自身が有罪を認めているのにも関わらず無罪を主張するようになった。本作第1話『失われた逆転』と第3話『逆転サーカス』では被告人が無罪を訴えるパターンに戻ったものの、第2話『再会、そして逆転』はやはり被告人自身が有罪を疑う出だしであり、以上要するに、成歩堂龍一の信念が被告人を信じるというところにあるのかどうかがシリーズを通して混乱していたと言える。
     そして『さらば、逆転』のストーリーだが、これは要するに、成歩堂龍一が被告人の主張に合わせて無罪を主張していたら、やがてそれは嘘で実際には罪を犯していたことが判明したので、検事と共に有罪を立証するという筋であった。結末では、実体的真実の重要性が強調されて話が終わる。
     しかし本当にこれでいいのだろうか。確かにこの話の被告人は悪人ではあったが、それでも被告人の敵に回るのだから、明らかにシリーズ当初の信念と相いれない。成歩堂龍一に対する読者の支持の根拠はこの信念にあったと思うが、今までもあまり信念が一貫していなかったものの一応被告人の味方ではあったものが、ここで決定的に矛盾してしまった。明らかに有罪なら無罪を主張すべきでないというのは確かにその通りだが、それにしても弁護の方法は無罪の主張だけではないはずである。世の弁護人の大半は有罪の被告人を弁護しているのであって、有罪だから敵に回るというのでは弁護人失格であろう。以上要するに、常に被告人の味方であるような弁護人こそが立派だと褒めるシリーズのはずなのにそれと矛盾するようなストーリーであった。
     いやこの事件では真宵が誘拐されるなど決定的に被告人との信頼関係が破たんしたのだから、コロシヤが言っていたのと同様に成歩堂龍一も被告人に対する義理はなくなったのだという反論がありうるかもしれない。確かにそのような状況では成歩堂龍一といえどもそうせざるを得ないのはそうなのだが、しかしそういうシリーズのテーゼに反するような出来事をそもそもシリーズの一話として語るべきでないということなのである。
     それにあくまでも被告人は冤罪だから無罪を主張するのだということにしてしまうと、成歩堂龍一のところに舞い込む事件はどれもその時点ではどう見ても有罪にしか見えないものばかり(という設定)なのだから、今後何も事件を受けられなくなってしまうのではないだろうか。

『逆転裁判 蘇る逆転』(2001・2005・2009)

 iOS版『逆転裁判123HD 成歩堂龍一編』にてプレイ。

  • CAPCOMから出た人気アドベンチャーゲームシリーズ第一作。『逆転裁判』部分の初出は2001年のGBA版。追加シナリオ『蘇る逆転』が2005年。
     本作は5話構成で、それぞれの話で、主人公の新人弁護士成歩堂龍一は、いわれなき罪で起訴されてしまった依頼人の無罪を勝ち取るべく奮闘する。
    ゲームシステムの基本は、今となっては懐かしい感じのするオーソドックスなコマンド選択型アドベンチャーゲーム型。主人公の行動は、証拠を収集するのが主な目的の探偵パートと、その証拠を検察側証人に突き付けて証言の矛盾を指摘するのが主な目的の法廷パートに分かれ、これが原則として各話3回程度繰り返される。最後の法廷で無罪を勝ち取れればクリア。
  • 『うみねこのなく頃に』に影響を与えた作品であることは明らかなので、そのうちやってみないとと思ってはいたがなかなか機会がなかった。先日たまたま手ごろな価格でiOS版が購入できるのに気づいてやっとプレイしてみた。ギャルゲーを除けば、現在までシリーズが存続している著名な国産アドベンチャーゲームとしては本シリーズがおそらく唯一だろう。話の中身は喜劇的な倒叙ものミステリーなのだが、キャラクターが魅力的だし、結末が気持ちのいい終わり方をするので、シリーズが現在まで存続したのも理由のないことではないように感じた。この話の結末のつけ方は、「主人公が社会に包摂されて終わる」というノースロップ・フライの喜劇の定義を彷彿とさせる。またキャラクターが魅力的というのは、主人公をはじめとする人間たちが信念をもって行動していることの結果である。